世の中の動き
徳川家康が清水湊の廻船問屋42件に特許
1615年頃
巴川の穏やかな流れが海に注ぎ、懐深い三保半島に抱かれた河港・清水湊は、富士山を望む絶景の地で、鎌倉時代から海上交通の要衝でした。
徳川時代に入って、東海道が整備される中で江尻が宿場に定められ、清水湊は海陸両面で一層の賑わいを見せていきました。やがて徳川家康は、大坂夏の陣の勝利に貢献したとして廻船問屋42軒に特許を与えます。鈴与の初代与平は、この問屋の一人である港屋平右衛門から問屋株を譲り受け、1801年(享和元年)、廻船問屋・播磨屋与平を創業しました。
世の中の動き
鈴与の動き
世の中の動き
徳川家康が清水湊の廻船問屋42件に特許
1615年頃
1801年
鈴与の動き
事業活動
初代 鈴木与平、廻船問屋・播磨屋与平をはじめる
1615年(元和元年)以来、営業上の特許を付与されてきた清水湊の特許問屋は、1841年(天保12年)の天保改革によって一時的に問屋特許を停止され、問屋数は38軒に減少しました。初代、二代と続く播磨屋与平を三代与平が引き継いだこの年に、この問屋特許を失い、保護のない自由場裡にさらされました。三代与平は、この経験したことのない荒波を乗り切ります。
1852年(嘉永5年)、この問屋特許停止は解除されたものの、次を襲った安政の大地震(1854年)による痛手は計り知れないものでした。そうした苦難にもめげず、扱い品目の拡大に努め、幕末の動乱期を迎えるまで播磨屋与平(商店)の地歩固めに尽くしました。
世の中の動き
問屋特許廃止
天保の改革
1841年
世の中の動き
元号が明治に
1868年
1876年
鈴与の動き
事業活動
郵便汽船三菱社〔日本郵船㈱の前身〕の積荷取扱店となる
幕末から明治に入って諸外国に門戸を開いた日本は、政治制度から食生活に至るまで、すべての面で急速な近代化が進展しました。清水の湊を近代化すること——三代与平の後を継いだ四代与平の思いは、その一点に絞られ事業の拡張と多角化に邁進していきます。
1889年(明治22年)、東海道線の開通は鈴与にとって大きな契機となりました。鉄道の発達が港の繁栄にはマイナスに働くという不安をバネに、塩や茶に加え石炭を扱い、鈴木与平商店と名称を改め、開化の時代へ果敢に進出していきました。
1883年
鈴与の動き
社会貢献活動
四代 鈴木与平、清水町有志と清水電信分局設置を請願
世の中の動き
日清戦争勃発
1894年
世の中の動き
清水港開港
1895年
鈴与の動き
事業活動
石炭販売業をはじめる
1899年(明治32年)、官民挙げての関係者の熱意によって、清水港は開港場に指定されました。清水港は、1909年(明治42年)には第1次修築工事を行い、次第に外国貿易港としての体裁を整えていきました。1911年(明治44年)にはアメリカ向けの主要輸出品である茶を中心に、五代与平の時代に貿易額は1,000万円を突破し、開港時に比べて著しく実績を伸ばしていきます。
明治から大正にかけて、清水港は農産物を中心にして多様な輸移出入港として、さらなる発展をみせる中、五代与平は塩元売捌人の指定を受ける一方で、時代の伸長に歩幅をあわせて木材回漕業や船舶代理店業、さらに海上保険の代理店も開始するなどして、事業を拡張していきました。
1900年
鈴与の動き
事業活動
木材回漕業をはじめる
世の中の動き
日露戦争勃発
1904年
1906年
鈴与の動き
事業活動
船舶代理業をはじめ日本郵船の代理店に
世の中の動き
元号が大正に
1912年
世の中の動き
第一次世界大戦勃発
1914年
1917年(大正6年)、神戸・鈴木商店の製油工場が完成し大豆輸入量が急増した清水港は、石炭輸入・木材輸入などを契機として、輸入超過へと転じることになりました。増加する輸出入貨物への対応から、第2次修築工事が進められ、3度の大地震や拡張計画の大幅見直しなどを経て、1938年(昭和13年)になって完成しました。
すでに清水市が誕生し、都市機能の整備とともに躍進を期待された清水港は、六代与平ら関係者が心血を注いで近代的な港湾が建設されていきます。六代与平は、店務においては石炭からコークス・煉炭・石油へと販売を拡充し、再製塩元売捌人の指定を受け、さらには将来を見据えて倉庫業をいち早く法人化する一方、社会的な使命感から清水食品を設立しました。
世の中の動き
関東大震災発生
1923年
鈴与の動き
社会貢献活動
関東大震災のため静岡県震災救済清水出張所が鈴与店内に開設
世の中の動き
元号が昭和に
1926年
世の中の動き
世界恐慌
1929年
鈴与の動き
社会貢献活動
不況による失業者救済のため清水食品㈱設立、食品事業に本格進出
1930年
鈴与の動き
関連会社
日本で初めて鮪油漬缶詰を製造し、米国に輸出(清水食品)
1933年
鈴与の動き
事業活動
石油販売業をはじめる
1936年
鈴与の動き
事業活動
鈴与商店を株式会社に組織変更
世の中の動き
第二次世界大戦勃発
1939年
1949年
鈴与の動き
関連会社
鈴与建設㈱設立、建設事業に本格進出
数度にわたる空襲を受け、焦土の中で終戦を迎えた清水港は、1952年(昭和27年)には特定重要港湾の指定を受け再建への力強い足取りを見せます。
海上輸送のコンテナ化が急速に進展。興津・袖師の埠頭が建設され、ガントリークレーンやコンテナヤードが整備されました。販売部門においては燃料革命が進む中で、石炭販売がピークを過ぎ、急速に液体燃料の石油への転換が図られました。また気体燃料のプロパン需要も伸びて、扱い品目の多角化が進んでいきました。
七代与平は、戦後の混乱の中、事業の拡張に傾注した一方、公的な活動を通しても地域に尽くしました。清水市立病院の開設、市立清水小学校への特殊学校開設、福祉施設「宍原荘」の開所、清水港湾資料館(現・フェルケール博物館)など、福祉・教育・文化振興にも大きな役割を果たしました。
世の中の動き
朝鮮戦争勃発
1950年
鈴与の動き
事業活動
国産第1号フォークリフトを導入
関連会社
鈴与自動車運送㈱設立
1956年
鈴与の動き
関連会社
日本初チューブ入りマヨネーズ発売(清水食品)
世の中の動き
東京オリンピック競技大会 開催
1964年
1968年
鈴与の動き
社会貢献活動
七代 鈴木与平、社会福祉法人静岡県社会福祉協議会会長に就任
1971年
鈴与の動き
社会貢献活動
創業170周年記念事業として清水市〔現 静岡市清水区〕へ屋内体育館を寄付
世の中の動き
第一次石油ショック
1973年
1978年
鈴与の動き
社会貢献活動
清水港湾資料館〔現 フェルケール博物館〕開館
七代 鈴木与平、理事長に就任
世の中の動き
第二次石油ショック
1979年
1981年
鈴与の動き
社会貢献活動
創業180周年記念として関連市町村に福祉車両を寄贈
1983年
鈴与の動き
事業活動
豊橋港における一般港湾運送免許を取得
関連会社
日本トラックステーション㈱〔現㈱ENEOSウイング〕設立、全国各地で営業開始
1988年
鈴与の動き
社会貢献活動
清水市立病院〔現 静岡市立清水病院〕医療向上のため清水市〔現 静岡市清水区〕に1億円を寄付
世の中の動き
元号が平成に
1989年
物流の革新を目の当たりにして、清水港も鈴与も対応を迫られていました。輸出入貨物が増加するにつれ、コンピュータ化の進展、物流形態の多様化、コストの低減化などの要請が強まり、港湾物流の拡充と強化が緊要の課題となっていました。八代与平は、事業の統合と整備を進めつつ、課題の克服に挑戦を続け国内物流の整備を進める一方で、御前崎港、豊橋港を含めた港湾物流の整備とグローバリゼーションに対応した国際物流機能の拡充を図っていきました。
一方で将来の進展が期待される部門については、積極的な事業展開と分社化が進められました。中でも、創業以来の柱である運輸部門と性格を異にする販売部門が分社・独立し鈴与商事(株)が誕生したことは、鈴与の歴史上もっとも大きな事業改革となりました。
また、静岡理工科大学開設や清水エスパルスの運営支援など教育やスポーツを通して地域社会の発展に寄与しました。
1990年
鈴与の動き
関連会社
㈱静岡システムテクノロジー〔現 鈴与システムテクノロジー㈱〕設立
鈴与商事㈱設立
世の中の動き
バブル崩壊
1991年
鈴与の動き
社会貢献活動
(学)静岡理工科大学開学。八代 鈴木与平、理事長に就任
静岡県内初のコミュータ会社として静岡エアコミュータ㈱設立
1993年
鈴与の動き
関連会社
㈱シンワート〔現 鈴与シンワート㈱、東証二部〕、グループ入り
1998年
鈴与の動き
社会貢献活動
清水エスパルスの運営支援開始
関連会社
全国初のセルフサービス型ガソリンスタンド、オープン
世の中の動き
清水港開港100周年
1999年
鈴与の動き
関連会社
清水港開港100周年に合わせ複合商業施設「エスパルスドリームプラザ」オープン
2001年
鈴与の動き
事業活動
鈴与創業200周年
2005年
鈴与の動き
事業活動
UPS社との戦略的提携契約締結
世の中の動き
リーマンショック
2008年
鈴与の動き
関連会社
日本初のカーボンオフセット・ガソリン販売開始(鈴与商事)
キャンベル製品の国内総販売代理店に(清水食品)
静岡空港開港に合わせ㈱フジドリームエアラインズ設立、航空事業に本格参入
消費者ニーズの細分化や通販の広がりで物流業界の競争が激化する中、2015年に代表取締役社長が八代与平から専務であった鈴木健一郎にバトンタッチされ、八代与平は代表取締役会長に就任。
国内物流は拠点拡充と先端技術を積極的に導入し作業効率・保管効率の向上を図り、運輸事業は、豊富な保有車両と拠点ネットワークを掛け合わせ、スイッチ輸送・フェリー輸送・食品共同配送を拡大。清水港においても新興津コンテナターミナルの完成や、RORO船の定期就航が進み、それらに合わせた港湾運送事業を展開しました。
また、鈴与の拠り所である「共生(ともいき)」の精神を今まで以上に大切にしたいという想いから、制度面において新人事制度の導入やオフィスリノベーションに着手し、魅力的な働く環境・空間を整備。加えて、すべての業務において高い生産性を実現するために「聖域なきデジタル化」として、価値が低い業務プロセスを排除し、価値の高い業務に労力を集中させる取り組みを続けています。
世の中の動き
東日本大震災発生
2011年
鈴与の動き
関連会社
新興マタイ㈱〔現 鈴与マタイ㈱〕鈴与グループ入り。太陽光事業へ参入
2012年
鈴与の動き
事業活動
清水港メガソーラープロジェクト稼働
2013年
鈴与の動き
関連会社
特定規模電気事業者として電力事業に参入(鈴与商事)
鈴与エコプロダクツ㈱設立
2015年
鈴与の動き
関連会社
㈱ミヤカン気仙沼新工場にて生産再開
2016年
鈴与の動き
関連会社
鈴与菊川バイオプラント竣工(鈴与商事)
世の中の動き
元号が令和に
2019年
鈴与の動き
関連会社
㈱フジドリームエアラインズ就航10周年
清水食品㈱創業90周年
世の中の動き
新型コロナウイルス感染拡大
2020年
鈴与の動き
関連会社
富士山清水港クルーズ㈱設立
鈴与商事㈱創業30周年
世の中の動き
東京2020
オリンピック・パラリンピック競技大会 開催
2021年
鈴与の動き
事業活動
鈴与創業220周年
社会貢献活動
新型コロナワクチン職域接種実施
2023年
鈴与の動き
事業活動
UPS社との戦略的提携契約を2035年まで継続
東西運輸㈱/リファーシステムジャパン㈱ グループ入り