• 開催中の展示会
  • イベント
  • ギャラリー
  • ご利用案内
  • 水口屋ギャラリー

弁財船と清水湊

2018年9月8日(土)~11月4日(日)

9:30~16:30(9月8日(土)は10:30開館)
休館日:月曜日(9月28日・24日、10月8日は開館)
※10月14日(日)は臨時休館


浦方航路図(当館蔵)

太平洋に面した清水は古くから西と東を結ぶ航路のなかにありました。江戸に幕府が開かれると、大坂と江戸を結ぶ太平洋航路には大小の弁財船が就航するようになりました。日本船の海外渡航はなくなりますが、富士川の開削を始めとした水運網の整備や、貨物船としての弁財船の発達により、幕府・諸藩の年貢米、木綿、酒、油、醤油などの商品が海運により運ばれていました。


沼津・江浦の弁財船(船の科学館提供)


清水湊図(清水中央図書館蔵)

【弁財船】

弁財船は千石船とも呼ばれ、船先に伸びた水押(みおし)が特徴で、船の長さに対し幅が広くて安定しており、船体中央に本帆(もとほ)がありました。千石とは今の約150トンにあたりますが、弁財船には200~1,500石積まで大小がありました。西洋の船のように、人の背骨や肋骨にあたる部材を使わずに、厚板と梁で建造されました。また、荷を積み上げるため、甲板は固定されずに揚げ板式になるなど、特徴ある構造をしていました。様々な清水湊図にも大小の弁財船が描かれており、当時の様子を伝えています。

【清水湊】

鎌倉時代以降の文献に記されていた江尻湊に加えて、永禄3年(1560)には“清水湊”が現れます。また、江戸時代初期には巴川河口西岸の清水湊に、徳川家康から許可された株仲間を結成した42軒の廻船問屋が集まっていました。これ以降、清水湊は太平洋海運の中継地及び、駿河の経済拠点となっていました。明治維新後に清水湾に面した波止場に 移動するまで続いた清水湊を絵図や文書で紹介します。

■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■協力
公益財団法人日本海事科学振興財団(船の科学館)/
清水港開港120周年記念事業実行委員会
■後援
静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/NHK静岡放送局/
毎日新聞静岡支局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/
中日新聞東海本社
■協賛
鈴与グループ