企画展 海に消えた徴用船たち
徴用船とは戦時体制下で国家の名のもとに強制的に集められ、戦争のために軍艦(航空母艦・巡洋艦)や輸送船に改造された船舶のことです。第2次世界大戦で開戦時に軍が徴用した船舶2,736隻の内2,568隻が破壊、撃沈され、60,331人の船員たちが戦死したといわれています。
徴用船はもともと商船として貨物や旅客を扱い、平和と豊かさの象徴として世界の海に活躍していました。しかし、戦争が始まると同時に船舶が不足するようになり、商船を徴用して軍事力強化のため、軍艦や輸送船に改造して戦時に当たらせたのです。昭和12年(1937)7月に日華事変が勃発しヨーロッパでも戦火が拡がっていくなか、日本政府は徐々に戦時体制へ移行していきました。昭和16年(1941)12月太平洋戦争が勃発すると、昭和17年(1942)3月に戦時海運管理令が公布され、全国の船舶が国家使用となり、更に同年4月に設立された船舶運営会の下に一元的に運行管理されることとなりました。各船舶会社はすべての海外航路を閉鎖するだけでなく、船舶も船員も国家に徴用されたのです。その結果、世界に誇った豪華客船や高速優秀貨物船はその殆んどを失い、わずかに海軍の病院船であった氷川丸などが残っただけでした。昭和20年(1945)に戦争は終結しましたが、船舶会社にはなお悲劇が待っていました。ただでさえ残された船舶が少ない上に、連合軍の占領下において活動が制限され続けたのです。昭和24年(1949)4月に漸く定期用船制度に切りかえられ、翌年4月に大型船が民営還元されたものの、光明が見え始めたのは昭和30年代に入ってからのことでした。
戦争は軍人や軍属だけが当事者ではありません。戦争に関わった人々は総て当事者であるのです。しかし、積極的に協力した者と、仕方なくしぶしぶ協力した者や、戦争に反対しながら協力させられた者など、いろいろの立場の人々が居たことは現在知られています。
今回の展覧会では、企業努力で営々と築いてきた会社の財産である優秀な船舶や船員たちを、惜しげもなく戦線に送りださなければならなかった船舶会社の姿を、失われた徴用船の状況から振り返ってみたいと思います。展示は模型船(40点)と船舶画家 上田毅八郎氏の作画による水彩画(65点)で構成いたします。
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